13日からの続き。


 この「多くの重なり合う意志による真剣な努力」
は、まさに Linux のようなプロジェクトには必須
――そして「命令という原理」は、ぼくたちがイン
ターネットと呼ぶアナキスト天国のボランティアた
ちに対しては、実質的に適用不可能だ。効果的に活
動して競争するには、共同プロジェクトを仕切りた
いハッカーは、クロポトキンが「理解の原理」で漠
然と示唆しているモードを使い、有益なコミュニテ
ィをリクルートしてやる気を起こさせる方法を学ば
なくてはならない。つまり、リーヌスの法則を学ば
なくてはならないんだ。[SP]

 まえにリーヌスの法則の説明として「デルファイ
効果」が考えられると述べた。でも、生物学や経済
学に見られる適応型システムも、アナロジーとして
強力だし魅力もある。Linux の世界はいろんな意味
で、自由市場や生態系のような動きを見せる。自己
中心的なエージェントがそれぞれ効用を最大化しよ
うとして、その過程で自己調整的な自律的秩序を生
み出し、それはどんな中央集権計画の何倍も複雑で
効率が高くなる。だからこここそが「理解の原理」
を探すべき場所だ。

 Linux ハッカーたちが最大化している「効用関
数」は、古典経済的なものではなく、自分のエゴの
満足とハッカー社会での評判という無形のものだ
(かれらの動機を「愛他精神」と呼ぶ人もいるけれ
ど、でもそれは、愛他家にとっての愛他活動はそれ
自体が一種のエゴの満足だという事実を見落として
いる)。こういう形で機能するボランタリー文化
は、実はそんなに珍しいものじゃない。ぼくが長い
こと参加してきたもう一つの例は、SF ファンダム
で、ここはハッカー界とちがってボランティア活動
の基本的な動機をはっきり「エゴブー」(他のファ
ンたちの間で自分の評判を高めること)だと認識し
ている。

 リーヌスは、開発そのものはほとんど他人にやら
せつつ、うまいこと自分はプロジェクトの門番にお
さまった。そしてプロジェクトへの関心を育てて、
それが自立するようにしてきた。これはクロポトキ
ンの「共通の理解という原理」の鋭い把握を示して
いる。このように Linux の世界を準経済学的に見
てやると、その理解がどのように適用されているか
見て取れるだろう。

 リーヌスのやり方は、「エゴブー」の効率的な市
場をつくりだす方法として見るといいかもしれな
い。個々のハッカーたちの利己性を、協力体制を維
持しないと実現不可能なむずかしい目標に、できる
だけしっかり結びつける方法だ。Fetchmail プロジ
ェクトで、ぼくは(もっと小規模にではあるけれ
ど)かれの手法が再現できるものだということを示
した。ぼくのほうが、リーヌスよりもそれをちょっ
と意識的かつ体系的に行ったとはいえるかもしれな
い。

 多くの人(特に政治的な理由で自由市場を信用し
ない人たち)は、自己中心的なエゴイストの文化な
んか断片的で、領土争いばかりで、無駄が多く、秘
密主義的で、攻撃的にちがいないと考える。でもこ
の予想ははっきりと反証できる。数多い例の一つを
あげると、Linux 関連文書の驚くべき多様性と品質
と詳細さがある。プログラマたちはドキュメント作
成が大嫌いというのは、ほとんど神聖化された周知
の事実とされている。だったら、なぜ Linux ハッ
カーたちはこんなにもたくさんの文書を生み出すん
だろう。明らかに Linux のエゴブー自由市場は、
商業ソフト屋さんのものすごい予算をもらった文書
作成業者たちよりも、気高さに満ちた他者をいたわ
る行動を生み出すうえでうまく機能するわけだ。

 Fetchmail と Linux カーネルプロジェクトがど
ちらも示しているのは、ほかの多くのハッカーたち
のエゴにきちんとごほうびをあげれば、強力な開発
者/コーディネータはインターネットを使って、共同
開発者がたくさんいるメリットを享受しつつ、プロ
ジェクトが混乱しきった修羅場に陥って崩壊するの
は避けられる、ということだ。というわけで、以下
はブルックスの法則に対するぼくの反対提案:
19. 開発コーディネーターが、最低でもインターネ
ットくらい使えるメディアを持っていて、圧力なし
に先導するやりかたを知っている場合には、頭数は
一つよりは多いほうが絶対にいい。

 フリーソフト(オープンソース・ソフト)の未来
は、ますますリーヌスのやりかたを身につけた人た
ちのものになっていくと思う。つまり、伽藍を後に
してバザール方式を受け入れる人たちのものだ。こ
れは別に、個人のビジョンと才能がもはやどうでも
いいということではない。むしろ、フリーソフト/オ
ープンソースの最先端は、個人のビジョンと才能を
出発点としつつも、それをボランタリーな利害/興味
コミュニティの構築によって増幅する人々のものだ
と思う。

 そしてこれは、単に「フリー」ソフト(オープン
ソース・ソフト)だけの未来像ではないのかも知れ
ない。問題解決にあたって、Linux コミュニティが
動員できるほどの才能プールに太刀打ちできる商業
デベロッパは存在しない。Fetchmail に貢献してく
れた 200 人以上を雇える財力を持つようなデベロッ
パですら、ごくわずかしかいない!

 もしかすると、最終的にフリーソフト/オープンソ
ース文化が勝利するのは、協力が道徳的に正しいと
かソフト「隠匿」が道徳的にまちがってるとかいう
理由のためではなく(ちなみに後者については、リ
ーヌスもぼくもそうは思わない)、単に商業ソフト
の世界が、ある問題に有能な人々の時間を幾桁も多
くそそぎ込めるフリーソフト/オープンソース界と、
進化上の軍事競争で張り合えなくなるからかもしれ
ない。



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