宮台真司は的確?
2002年11月26日http://www.asahi.com/culture/book/K2002101600894.html
本作を読むと江戸川乱歩『押絵(おしえ)と旅する
男』を思い出す。覗(のぞ)きカラクリの押絵の美少女に恋した兄は「現実」を断念。自ら押絵の中に閉じ込められて美少女の隣で永遠に生きる。弟はその押絵と旅をする――。
急速な近代化で、「現実」の物も人も「入れ替え可能」な存在になりゆく大正期、あえて「入れ替え不可能」な存在たらんと欲すれば「押絵と旅する」=「現実を断念する」以外ないとのペシミズムがあった。
かつて現実の希薄化の中での退行的な感受性(探しものモチーフ)を描いた村上春樹は、オウム事件直後の『アンダーグラウンド』で現実の希薄化に抗する「真の物語」が必要だとの「凡庸な立場」を取った後、『神の子どもたちはみな踊る』で物語(条理)よりも世界の外を暗示する特異点(不条理)こそが辛うじて生きる動機づけを与えるという「深い立場」に移行した。さて本作では、「現実」は生きるに足らずとの「脱社会的」感受性を生きる主人公は、大切な存在(母)から「自分を記憶してくれ」と頼まれることで辛うじて「現実」を生きる動機を得る。前作と比べて、この中途半端な現実回帰は全く説得力を欠く。
>これが鍵かも。
物語(条理)よりも世界の外を暗示する特異点(不
条理)こそが辛うじて生きる動機づけを与えるという「深い立場」に移行した。
あえて今日的な部分を拾えば、乱歩的な「現実断念の痛切さ」はもはやあり得ず、「現実」を生きることと断念することの間にさしたる距離がないとの感受性か。読者の側の現実感覚の希薄化に平行してはいるが、共通感覚の共同体に安住する安易さは否めない。
>結果的には安易に見えるけどね。
過程に居るのはまさに大変だ。
>今見直してみて思ったけど、
「現実」は生きるに足らずとの「脱社会的」感受性を生きる主人公は、大切な存在(母)から「自分を記憶してくれ」と頼まれることで辛うじて「現実」を生きる動機を得る。
これってすごい的確だと思う。ひきこもりって
こんな感じなんじゃないだろうか。
今日はアルバイトの職場仲間が
重度のモー娘オタクということが
分かってしまった。苦笑であった。
>一日バイクの上で過ごしたよ。
大切な存在=母から頼まれたからっていう
理由を辛うじて現実を生きることの
動機とするっていうのは、マザーファッカーで
マザコンで母性原理な僕らを
USAから狙い撃ちしてるんでしょうか、
村上春樹氏は。
娼婦のように横たわる弛緩した母体、
虚数空間と紙一重のマトリクス、
ゼロから離れるほど近づく残酷な曼陀羅。
おとーさんとー呼んでーみたいー
ってのは森山良子のさとうきび畑。
本作を読むと江戸川乱歩『押絵(おしえ)と旅する
男』を思い出す。覗(のぞ)きカラクリの押絵の美少女に恋した兄は「現実」を断念。自ら押絵の中に閉じ込められて美少女の隣で永遠に生きる。弟はその押絵と旅をする――。
急速な近代化で、「現実」の物も人も「入れ替え可能」な存在になりゆく大正期、あえて「入れ替え不可能」な存在たらんと欲すれば「押絵と旅する」=「現実を断念する」以外ないとのペシミズムがあった。
かつて現実の希薄化の中での退行的な感受性(探しものモチーフ)を描いた村上春樹は、オウム事件直後の『アンダーグラウンド』で現実の希薄化に抗する「真の物語」が必要だとの「凡庸な立場」を取った後、『神の子どもたちはみな踊る』で物語(条理)よりも世界の外を暗示する特異点(不条理)こそが辛うじて生きる動機づけを与えるという「深い立場」に移行した。さて本作では、「現実」は生きるに足らずとの「脱社会的」感受性を生きる主人公は、大切な存在(母)から「自分を記憶してくれ」と頼まれることで辛うじて「現実」を生きる動機を得る。前作と比べて、この中途半端な現実回帰は全く説得力を欠く。
>これが鍵かも。
物語(条理)よりも世界の外を暗示する特異点(不
条理)こそが辛うじて生きる動機づけを与えるという「深い立場」に移行した。
あえて今日的な部分を拾えば、乱歩的な「現実断念の痛切さ」はもはやあり得ず、「現実」を生きることと断念することの間にさしたる距離がないとの感受性か。読者の側の現実感覚の希薄化に平行してはいるが、共通感覚の共同体に安住する安易さは否めない。
>結果的には安易に見えるけどね。
過程に居るのはまさに大変だ。
>今見直してみて思ったけど、
「現実」は生きるに足らずとの「脱社会的」感受性を生きる主人公は、大切な存在(母)から「自分を記憶してくれ」と頼まれることで辛うじて「現実」を生きる動機を得る。
これってすごい的確だと思う。ひきこもりって
こんな感じなんじゃないだろうか。
今日はアルバイトの職場仲間が
重度のモー娘オタクということが
分かってしまった。苦笑であった。
>一日バイクの上で過ごしたよ。
大切な存在=母から頼まれたからっていう
理由を辛うじて現実を生きることの
動機とするっていうのは、マザーファッカーで
マザコンで母性原理な僕らを
USAから狙い撃ちしてるんでしょうか、
村上春樹氏は。
娼婦のように横たわる弛緩した母体、
虚数空間と紙一重のマトリクス、
ゼロから離れるほど近づく残酷な曼陀羅。
おとーさんとー呼んでーみたいー
ってのは森山良子のさとうきび畑。
コメント