GNU
2003年2月8日この2月はじめは山篭りに匹敵する
UNIX、FreeBSD修行をしていた。
古いほうのパソコンにWINDOWS98と
FreeBSDをデュアルブートして、
FreeBSD徹底入門っていう本と
UNIXコマンド教本という本を片手に
ひたすらUNIXの設定をする。
真っ暗な画面にコマンドをひたすら打って
だんだんとOSらしきものの姿が
感じられるようになる。
XWindowっていうWINDOWSみたいな
GUIが動き始めたときは、ちょっとした
感動があったが、別にUNIXをWINDOWS
みたいに使いたい気は全然なかった。
だって別のパソコンにWINDOWSXp動いてる。
でもモニターからマウスからなにから、
みんなUNIXパソにつながってるから、
しばらくXpパソ封印ってとこが
修行の修行たる所以。
だんだんFreeBSDの参考書の内容が
UNIXをWINDOWSなみに使おうぜ、みたいな
内容になってきたので、そろそろ
FreeBSD打ち止めだな。
だってWINDOWSみたいな使い方は、
WINDOWSを使えよって思うもの。
UNIXはviエディタとコマンドとOSの造り
を憶えられればそれで良しかもしれない。
あと良書「UNIXという考え方」を読む。
UNIXをWINDOWSみたいに使う is not UNIX
さあ、これからはハブでも買ってきて
RedHatLinuxサーバ構築編でもやるか?
長い道のりだろうな。
今日もpingが通らないいつもの朝ですって
感じかもな。
それよりもPHPとPerlのお勉強再開しよう。
こんなドロドロした技術まみれの日々、
昔、森高千里が、
恋人のひとりもいないだなんて気持ち悪いわ、
と言わされていたことが
何度も頭をよぎった25歳。
本屋に参考書漁りに行ったついでに
綿谷りさ「インストール」を読んだ。
ITバブルってこういうことだったのかな。
こういう話を17歳で書いて
文芸賞で美少女で才女。
すごいタイミングで生きてる人生の断面を見た。
UNIX、FreeBSD修行をしていた。
古いほうのパソコンにWINDOWS98と
FreeBSDをデュアルブートして、
FreeBSD徹底入門っていう本と
UNIXコマンド教本という本を片手に
ひたすらUNIXの設定をする。
真っ暗な画面にコマンドをひたすら打って
だんだんとOSらしきものの姿が
感じられるようになる。
XWindowっていうWINDOWSみたいな
GUIが動き始めたときは、ちょっとした
感動があったが、別にUNIXをWINDOWS
みたいに使いたい気は全然なかった。
だって別のパソコンにWINDOWSXp動いてる。
でもモニターからマウスからなにから、
みんなUNIXパソにつながってるから、
しばらくXpパソ封印ってとこが
修行の修行たる所以。
だんだんFreeBSDの参考書の内容が
UNIXをWINDOWSなみに使おうぜ、みたいな
内容になってきたので、そろそろ
FreeBSD打ち止めだな。
だってWINDOWSみたいな使い方は、
WINDOWSを使えよって思うもの。
UNIXはviエディタとコマンドとOSの造り
を憶えられればそれで良しかもしれない。
あと良書「UNIXという考え方」を読む。
UNIXをWINDOWSみたいに使う is not UNIX
さあ、これからはハブでも買ってきて
RedHatLinuxサーバ構築編でもやるか?
長い道のりだろうな。
今日もpingが通らないいつもの朝ですって
感じかもな。
それよりもPHPとPerlのお勉強再開しよう。
こんなドロドロした技術まみれの日々、
昔、森高千里が、
恋人のひとりもいないだなんて気持ち悪いわ、
と言わされていたことが
何度も頭をよぎった25歳。
本屋に参考書漁りに行ったついでに
綿谷りさ「インストール」を読んだ。
ITバブルってこういうことだったのかな。
こういう話を17歳で書いて
文芸賞で美少女で才女。
すごいタイミングで生きてる人生の断面を見た。
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