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の動画をダウンロード。

モータースポーツは
日本に根付かないのはなぜか
という話はよくある話で、
国内レースの実況などで、
それは狩猟民族(白人)と
農耕民族(黄色人)の性質の違いという
話がでてきたりもして、
それを議論したら朝まで生テレビのような
ノリになると思うが、それはあると思う。
でも少なくとも自分が知ってる
桶川スポーツランドでは
根付いていると思うが。
とあるモータースポーツチーム関係者の
人が、スポンサーとして議員に協力を
仰いだところ、そういう個人的なことには
協力できない、と言われたそうで、
そういう事柄には上で言ったようなことが
当てはまるのかもしれない。
ただ、個人の成績を問う競技ではあるが、
それは、表立ってドライバーやライダーの
ことであり、それを支えるコンストラクター
(チームスタッフや機材の開発者)などは、
まさに農耕的に皆で歩を進め協力すること
なしには成り立たない。
だから、モータースポーツは
農耕的か狩猟的かという二元の要素に
還元することのみでは説明できない。
いわば、競技者は狩猟的社会に居り、
機材開発者は農耕的社会に生きているのでは
ないかと推測する。
というようにモータスポーツという
枠組みに上の二元を当てはめると
このような構造があるように思う。
日本に根付かないということにおいての
他要素としては、日本の土地の狭さによる
エンジン音の騒音問題などが考えられる。

チャンピオンシップとしてではなく、
レジャーとしてモータースポーツを
楽しむのも、個人的側面が際立つスポーツ
であるからこそ個人が自分勝手をしていては
楽しむことすらできない現実があるので、
個人の振る舞いに強くルールが働く。
OSL(桶川スポーツランド)に
行ってみて分かったことで、
人命においてリスクが高いモータースポーツ
だからこそ、誰かが転倒すれば、
近くを走行する人は
すぐに助けに向かったり、後続車に合図を
送ったりといったことが規則となっていて、
便宜的な規則のもとで走行する公道での
不可抗力による事故のほうが、
サーキットで個人が自律的に最善の走行をし、
協力的であり、秩序を守ろうとするなかでの
事故よりも、相当に恐怖を感じるようになった。
以上、自律分散協調システムを実感した一例。

参考例。
ロータリー式交差点と信号機式交差点の
システムの差異。
ロータリー式は自律分散協調的ではあるが、
日本は土地が狭いので採用できない現実がある。

こういうことを慶應大のWIDEで
自律分散協調のインターネットでの
レポートを書いたら及第点なのかもしれない。
もう締め切りすぎてしまっているけど。

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