’89年から始まる

2003年7月18日
’89年F1グランプリ総集編をDL。
セナ、ベルガーがまだ青年の面持ちだ。
プロストはすでにおばあちゃんみたいな
容姿になってるけど。
いかんせんプロストの政治的に
チャンピオンシップを獲りたいという
願望が明け透けすぎて、
あのころプロスト嫌いだったなあという
ことを懐かしく思い出した。

マクラーレンはセナにもプロストにも
同条件を与えて、フェアなレースを
してもらいたい、それでみんなが
納得することが一番重要なんだ(ロン・デニス)
という信念をもってチームを運営。

プロスト談。予選で僕達(セナ、プロスト)
1−2グリッドだったら、スタートで良い飛び出し
をしたほうが1コーナーで先に行く、
絶対抜かない約束だったんだ。
なのにセナに裏切られてとても腹立たしい。

セナ。ノーコメント。心の中では、
レースでお互いベストを尽くせばいいよ。
やはりセナはマクラーレンで気に入られるよ。
天才的だし、ファイタータイプだし、
ナチュラルドライバーで、車のセットアップ
能力もあるという稀有な人だったから。
それはプロストもおおいに認めていた。

それで鈴鹿であの大事件。
トップを走るプロスト、2位を走るセナ。
プロストとセナともにリタイヤすれば、
残りはオーストラリアのみで、
セナはポイント挽回の機会はなく、
自動的にプロストのチャンピオンシップ確定。
レース後半、シケインでプロストの
インを突いたセナ、すかさずプロスト
どう見ても故意に車をぶつける。
プロストはリタイヤ。
このときの両者、車に乗ったままでの
睨み合いは壮絶なオーラがでてましたね。
奇跡的にセナは走り出す。
ピットに入って壊れたフロントウィングを
直して神業の走りでトップをアレッサンドロ・
ナニーニ(懐かしい)から奪い返し、優勝。
しかし、例の接触のとき、コースマーシャル
の支援をうけ走り出し、シケインを
ショートカットしてコースに復帰したため
それが後の裁定で失格となる。
その裁定を不服とし、
撤回されるのを信じて最終戦オーストラリアへ。
このへんがセナが人気でる理由だと思う。
決勝では激しい雨。来期、フェラーリへの
移籍が決まり、チャンピオンも決まり、
マクラーレンでの仕事に
嫌気がさしていたプロストは決勝を早々と
放棄。これがプロストが嫌われる理由だと思う。
セナは前戦の失格の裁定が翻るのを
信じてトップを走るが雨の中リタイヤ。
結果、プロストが89年の覇者に。
その後、FISAかな?(F1主催の協会)から
セナに半年の執行猶予付き出走停止処分と
罰金たしか10万ドル。
理由は危険なドライバーだから。

ピットレーンで自分とこのピット通り越して、
バックギヤで戻ってそれで、
失格の旗振られてるのに、熱くなってセナと
2位争いしてセナ巻き込んでリタイヤしたマンセル。
後日談、旗なんて見えなかったよ!
っていうのはかなり危険なドライバーだと
思うけどマンセルはお咎めなしだったのに
なんでセナが?

マクラーレンはこれを不服とするが、
そのマクラーレンにも協会から警告が。

フェアな勝負を好む輩は叩かれやすい。

ただし、フェラーリを除く他のチームは
セナとマクラーレンを擁護。
他のドライバーも、チャンピオンシップが
かかっている状態であそこからの復帰は
当然するだろう。あれをショートカットと
呼べるかい?と口々に。
ウィリアムズのフランク・ウィリアムズ
オーナーも、
我々は我々の協会に不信感を抱かざるを得ない。
フェラーリって日本球界的に言うナベツネの
抱え込み、みたいなチームで、協会をも
丸め込んで、93年には車両のハイテク化に
ついていけないちょっと間抜けなイタリアン
救済策で、いきなりハイテクを使用している
幾つかのチームを、レース期間中に
失格扱いにする。ただし、今回というか
今年は大目に見てやる、来年からは
全面禁止!とかやらかして、かなりF1を
つまらなくしたのを思い出す。
俺はずーっとハイテク導入しまくりの賢くて
フェアなイギリスのチーム(マクラーレン、
ウィリアムズ)を応援してたので中学、
高校のときこれにすごくむかついたのも
思い出します。やっぱりそういうので
パンク聴く素養がありました。
というかニューウェイブなロカビリーとか
好きでしたね。POGUESとか。
REZILLOSも好きだった。
BRITZKREIG BOPという曲みたいなのが
好きでした。

そんなわけで89年、フランス人のプロストは
同じラテンの血が濃いフェラーリがあってるの
でしょうね、チャンピオンになって
フェラーリに移籍し、因縁の90年セナプロ対決
に突入します。

93年、プロストはウィリアムズで復帰するけど、
これもチームとうまが合わず引退を決意してた。
でもプロストはこの年、チャンピオンになってる。
やはりプロストも偉大だったなあ。
でも嫌いだったなあ。

やっぱり、フランク・ウィリアムズオーナーは
ファイターでナチュラルドライバーが好きだった。
つまりセナを獲得したかった。
91年に本田宗一郎が死去したとき、鈴鹿で
セナが率先して喪章をつけて、それでマクラーレン
スタッフも喪章をつけた。本田宗一郎は
そういうことをされるのを拒んでいた人だった。
それを見たフランク・ウィリアムズは、
セナの本田への忠誠心はすごい、
これは獲得できないと思った。
しかしセナはウィリアムズの車の性能の良さ
を痛いほど知っていたので、翌92年、
ウィリアムズに乗りたいと何度も発言する
ことになる。まさに墓穴を掘ってしまったセナ。

ただ、この93年とその前年のウィリアムズは車が
アナザーディメンションとか言われてて、
性能良すぎでした。そんなおいしいところ
で復帰して、ウィリアムズに乗った
プロストにやっぱりむかついてましたね。
なんだこいつほんとに政治屋だなって。
プロストと組むならもうF1止めるっていって
アメリカのCARTにいっちゃった92年の
チャンプ、マンセル。そのCARTでいきなり優勝。
93年のCARTチャンピオンをいきなり
かっさらっていきました。
すごすぎ。素敵すぎ。爆笑しました。
だってアメリカのCARTってF1ほど、
車の速さが違わなくて、ドライバーの
腕で勝敗決まるのに、そうなったとたん
水を得た魚のようになって勝ちまくる
ナイジェル・マンセル。
アメリカの超一流レーサー全員を
なぎ倒して去っていった髭のイギリス親父
(ライオンハート、そして栄光のレッドファイブ、
そしてユニオンジャックを背負いまくりの@92年
イギリスグランプリも格好良すぎだ)。

と、同時にCARTのつわもの、マイケル・
アンドレッティが93年はマクラーレンから
F1に参戦。ヨーロッパの洗礼をまともに
喰らう、ちょっと小太りで純心、紙一重で
単純なまさにアメリカン、敗走続き。
この年の後半戦でアメリカへとんぼ返り。
最後に3位の表彰台に乗るのだけど、
すごく居心地悪そうで居たたまれなかった。
ビッグマックとかいうあだ名が付いてるし。
マクラーレンのマルボロの赤白ボディカラー
にたしか星条旗っぽいデザインのヘルメットが、
NASAみたいな近未来っぽさをだしていて
格好良かった。マイケルは応援してたけどなー。
予選グリッドのドライバープロフィールに
F1ではめずらしくUSAと表示されるのが
何気に好きだった。

そのころから同じマイケルはマイケルでも
ミハエルのほうのマイケルが台頭。
このころのシューマッハーはアグレッシブで
好きだった。そうして94年以降は
ドイツの若き帝王シューマッハーの時代に。
これがまたつまらんのだけど。

このころのF1は黄金時代だった。
このころのことはいくらでも書けてしまう。
出走台数も40台近くあってそれだけで
迫力、下位チームに味のあるチームが
たくさんあった。今は24、5台とかなり寂しい。

早く90年総集編DLされるのが待ちどおしい。

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uri

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