ある自主映画の撮影の音声補助の
役目で、川越方面、東武東上線の鶴ヶ島
というところへ行った。
「川に流れた挿話」
というタイトルで、
まだ撮影は8月いっぱい要しそうなので、
これからといったところだろうか。

親知らずがはえてきて疼いて痛い。
そこをさわると、なんというか、
きっと死臭みたいな匂いがしてすごく嫌なの
だけど、もう必要のない肉が
除かれていくときの匂いが、
死臭みたいだという想像は、
あながちはずれてないのではないだろうか。
腐っていくというのは、
後ろ向きな見方の死の中身なのかなとか
考えた。

あと今日は、これこそ嫌なもの、
を経験しましたが、
それは、ある程度年のいった男の人が、
イヤイヤをしているのを見ると、
すごく気が遠くなって、うわあーってなって
しまうということでした。

昨日の30日は、
大宮の大和田公園の花火大会。
夕方仕事を終えたあと、
どうにも昼飯が大盛りだったため、
午後の仕事に支障をきたし、
家に帰ってから部屋で軽く眠りに落ちてしまう。
スケートボードをやりに行こうと思っていたのに。
しかし、
夏バテのときにコーラを飲んではいけない。
意識が朦朧としてしまうほどのおもいをした。

花火大会のため、マイスケートスポットである、
大宮公園内、
市営球場の裏手のいつも閉鎖されている
外野専用出入口付近は、臨時バスの
発着場となってしまい、人がやたらと多い。
路面がクリーンな石畳で、
ひざ下くらいの簡単なカーブもあって、
夜も照明がついているので、
いいスポットだ。
でも、僕はしゃしゃりでて目立つのは嫌いだから、
人が多いとスケートに集中できない。
こんな日記を書いてると、
そんなこと疑うかもしれませんけど。
でも、だから、新宿駅の隣のフラッグスという
ビルの下でスケートしてるスケーターを
理解できない。
結局、カーブにワックスを塗って、
スイッチスタンスのマニュアルの
練習とかして、一回くらい転んで、
帰った。

そして、今日は夕方から矢野顕子のコンサート
を観に行く日で、楽しみだったし、
仕事も休みにしていた。
朝は、遅くまで寝ていられた。
フジロックからのちょっとした無茶を
休めるのに調度よく心地よい。
それで、
午後はまたそのスケートスポットに行って、
1時間くらい練習。
やっと、
ショービットの感覚を取り戻し、
フリップの感覚も取り戻し、
ノーズスライドもちょっと練習。
スイッチのチクタクとオーリー。
と、
帰ろうとして、
市営球場と大宮サッカー場の間を
自転車で抜けようとしたら、
いい感じの坂の途中に、
坂から抜け出るようなかたちの
徐々に背が高くなるような、
とてもいい感じのカーブがあって、
しかも、誰か他のスケーターが
滑ったあともある。

すごくよい予感がしたので、
次回の楽しみにして、
今日は帰ってシャワーを浴びて、
ジンジャーエール飲んで、
矢野顕子のコンサートに行くまで、
ぼーっとしていた。

ちなみに、大宮サッカー場は
大宮アルディージャというJ2チームの
ホームスタジアムです。
古いけどサッカー専用で、
ピッチと観客席の間がすごく狭いので、
試合中の選手の声が聞こえてきて、
けっこう見応えがあるという、
味のあるスタジアムです。

あと、付け足し。
スイッチスタンスの練習というのは、
すごく不思議な効果がある。
僕は今まで、右肩の慢性的な痛みに
ずーっと悩まされてきたのだけれど、
改めてスケートを始めて、
スイッチの練習をまめにやっていると、
今まで使われていなかった身体の半分の
筋肉が筋肉痛になっていることに気付いて、
それがなんとなく心地よさがあり、
なんとなく、このまま続ければ
身体のバランスが良くなっていきそうな
予感がある。
以前スケートをしていたころは、
レギュラースタンスばっかりで、
背伸びして難しいトリックばかりしようと
していたから。
でも、慣れないスイッチスタンスで、
スケートボードをサーフィンにみたてて滑る。
プッシュで味気なく走るんじゃなく、
アグレッシブな体重移動で遊ぶ。
なぜだか、オールドスクールな
スケートスタイルで滑っているかのような。
古いスケートビデオの映像が
頭に浮かんできて、それもまた楽しい。

フジロックの2日目に
行ってきた。

出かける前に逆方向の
富士吉田にでかけて、
サマーソニック2000の思い出の場所を
車で彷徨いながら、
名物のうどんを食って、
夕日を見る。
素敵な感アリ、
の雑貨屋で店員さんとお茶を濁してから、
吉祥寺へ向かう。甲州街道を
60キロで颯爽と走ります。

深夜の関越自動車道。
サービスエリアにてコーヒー。
若者たちが多い。
なぜか、自衛隊の装甲車みたいな
車の上で寝てる人。
なんで?

苗場にて、
{                 }
(            )
"                 ";

内藤君は、
車の降り際、
財布がどこだかわかんなくなってて、
見つかってよかった。
それで矢野顕子のコンサートに続くって
感じで、RCサクセションのシングルマンを
借してくれたので、夕暮れ、
帰りの三鷹から
大宮までの西東京を抜ける裏道を、
それ聴きながら家に帰った。

一晩たって今日、仕事はまだ休み。
パソコンの前に座る。
ディセンデンツをかけてコーヒーを飲んで、
寝起きにムチいれ、今は
ティーンエイジファンクラブの
ソングスフロムノーザンブリテンを
回しているWINAMPと
マイクロソフトオフィス2000のエクセル
が動作しています。
意外に多かった出費に家計簿を前に
懐を痛めたけど、
そろそろ昼めしを食わないと。

この文章また編集する。

やはり仕事中に

2002年7月22日
ちょっと考えていたんだけど、
いつか、いつかレコードレーベルを
やるならHOMESTEADという名前で
やろうと思っている。
日本語名にしたら、開墾社。
http://cruel.org/freeware/noosphere.html#13
↑よく整理された
いい文章だと思うので、関心のわく方へのリンク。

FOLLOW THE WATERの日本語名は、
一番近いイメージは、
長尾君が発案者の、真実一路かな。
彼のバンドはそれじゃなくて、天狗という名を
採用したみたいだけど。
ストレートな名前だなあ、真実一路。

眠くなってきた。

SK8熱復活!

2002年7月20日
スケボー買っちゃいました。
ガールというブランドの
ケニー・アンダーソンモデル、
コンケーブ緩めで平たく、
キックも緩やかな、
平べったい板です。
太めで、こういうのが好きなんです。
デザインもめちゃかっこよい、気にいりました。
トラックはインディペンデントで、
ウィールはなんだかわかんない新しいブランドの
自分としては初めての細めウィールでサイズ50mm。
しめて2万6千強也。
初心者じゃないから、パーツこだわっちゃうから
この値段。高かったー。
大宮のロフトの店員さん、
何気に同い年で、昔のプロスケーターの
名前でそこはかとなく盛り上がり、
心に久しぶりのビッグウェィヴきました。
久しぶりにスケボー仲間増やすぞー。
そんで音楽好きのやついたらバンド
一緒にやろうと思う。
フツウにエモ好きのやつとかいないかなあ。
あと、プロミスリングとか出てるコンピレーション
のライブビデオもユニオンの通販で申し込んだ。
在庫あるんかいな、あと今更だけど、
BRAIDのKILLING A CAMERAのビデオも。
あのかっこよさは忘れられないよ。

YOUNG MEN’S STEREO/GOD’S GUTS
を聴きながらビールを飲む。
大宮のグリグリというレコード屋の
可愛らしいお姉さん店員に
GOD’S GUTS好きなんですよねーって
言ったら、古いねーって言われたこと
を思い出す。この前の冬くらいの話。
レイモンド・ペティボン展を観てきた。
いろんな符号やら記号が頭の中を
グルグルして大変だった。
フォローザウォーターの
トップページみたいな汽車の絵が
あってびっくり嬉しく。
映像作品において、
マイク・ワットかな?の
マリファナの吸い込みかたが
激しすぎて激笑い。
あと、I’m mellowとかいう
フニャけたプリントのTシャツを着た、
情けないバンドメンバーが練習に彼女を
連れて来て、それを叱るマイク・ワット
にこれまた激笑。
ひとりで笑いこらえるのが大変だった。
サーストン・ムーアは相変わらず
かっこよかった。
ブラックフラッグのLPが
総ざらい展示してあって、壮観だった。
しかし、展示数が多すぎて、
後半、集中力を欠いた。
もう一回くらい行かないと
全部味わえません。
でも、なんか元気が出ました。

仕事の愚痴

2002年7月12日
郵便局の仕事、
課長が、二言目には、俺の立場が、を
連発。ホントに立場ってのを考えてる
人間はそういう言い方しねぇだろう。
いままでは私服で勤務していたが、
この猛暑の中、Yシャツ一枚指し出して、
これを着ろというので、汗がひどいので、
二日続けては着れませんと言ったが、
それ以上の支給は今のところない。
おまけに、サイズのきつくなった
ジーンズしか持ってないから、
はいらないのに、
シャツの裾をズボンに入れろと。
そのときも人の話をまともに聞かずに、
俺の立場、を連発。
仕方ないのでズボンは自腹切って買いますよ。
そもそも、文字通り無茶を通り越して、無理
が多すぎる。しょうもないので、自分の心を
自分で葬式に出して弔うようなことがまた
一つ増えることになる。
因みにこのことで職場に居づらい雰囲気
になってしまった。
わかってはいたことだが、
働くのは民間の組織にしようと思った。
しかし、郵便貯金のたしか360兆円、
この巨額な金は、民間の金融機関からしたら、
異様じゃないのかな。
ここからでてる財政投融資はほとんど
不良債権化してるらしいし、
ヤバイな、郵政事業庁の存在感。

民放ガッカリ

2002年7月7日
F1イギリスGP予選を観たいのに、
フジTVが24時間番組をやってるので
いつはじまるかわかんない。
見過ごしたっぽいです。
もう民放でスポーツを観るのはうんざり。
ツールドフランスは3回の放送にまとめられちゃう
し、本当はNHKでやってたころがよかった。
数年前まではフジでも期間中は毎日放送してくれ
てたんだけどな。王者インデュラインの頃。
もうスカパー加入しかなさそうで。
スカパー入れば、自転車ロードのクラシックまで
もが観れるー。パリ〜ルーべというのがあって、
石畳というヨーロッパの歴史的悪路を
走る特殊なサバイバルレース。
これを是非観てみたい。
それならば金を払います。
引き続きドラムのことを考えていた。
難しいけど、これは絶対いろんなリズムの
感覚に気付くためにオススメな方法。

右手のハイハットの刻みをバスドラムと
スネアがどんなパターンを叩いても、
4分音符で刻みつづける。
8ビートの曲はつい8分音符を刻みたくなる
けど、絶対に4分音符の頭を打ち続けること。
タムなどのフィルのパートは除いて。
そうしていると、
まず、

右足バスドラムの8分音符とシンコペーション、
そして3連譜。
それらとの右手4分音符のハイハットの分離。
初心者にはこれがいかに難しいかが分かります。
これが、右足に右手がつられずに、
4分音符を完璧に刻んでいる右手を
手に入れるとちょっとした感動があります。
1,2,3,4の世界とそれらの隙間に
ある世界の組み合わせの妙がすごく癖になります。

その次に、左手と右手の分離、左手と右足の分離。
を考えて、右手4分音符の中にバスドラムは
任意のパターンキープで、左手が16分音符の
位置を叩けたらかなり楽しくなってきました。

僕は初めにこのことを学んだ曲は、
red and blue jeans/promise ring
です。この曲のサビと思われるところの
パターンがまさにです。
因みにこの曲は寒い日とか雨の日に聴くの
がよいです。
ミルウォーキー出身なだけに、
カナダとか北欧みたいな寒そうな景色が思い浮かぶ
曲です。って書いてたらジンジャーエール
飲みたくなってきた。
promise ringは曲がシンプルなくせに
リズムに絶妙なトリッキーさが全般にあって、
すごくドラム熱を高めてくれます。
え、なに今の?ってくらい笑える難しさ。
相当上手だと思われます。
でも曲後半だんだんと
ハシリ気味の曲が多い気が…。
熱くてコミカルで楽しいのだけど。

ドラムの練習をしていて、気付いたんだけど
いつも、椅子を高くして、ひざがくの字に曲がる
くらいの位置で叩いていたんだけど、
偶然、今日のかしわスタジオ、Dスタジオでは
椅子が低めにセットされていた。
ひざが極端に言うと直角に近いくらいになる
ような。必然的にスネアが高い位置に
くるんだけど、そんなセットで叩いてみたら、
なんかいつもより1.8倍は上手くなったような。
スネアロールがすごくよくできるし、
タムのフィルはスムーズにいくし、
慣れない左1タム、右前方ライドシンバルなのに
フロアタムまでよく腕がまわる。
それで、このセッティングはいつもかっこいいな
と思うセットなので、発見しました、やっぱり
これで叩こう。カムバックマイドーターズ
のドラムの人のセットとおんなじです。
しかも、かしわスタジオ、
いつもペダルしょぼいけど、
Dスタジオに限ってはタマの
ローリンググライドのコブラだった。
パールP2000Cペダルを買ったのに、
タマのも叩きやすい。いつか買ってしまおうかな。
両方良さがあるな。
パールのはビーターがデカイから遠心力で
強い音。瞬間的なアクションにはついてこない
重さがある。軽く踏んでもいい音なのがよい。
タマのはビーターがコンパクトで、
コンプレッサーのかかったような軽い音が
かっこいい。しかも速い瞬間的なアクションに
よくついてくる。ペダルの強度とスプリングの
強さが絶妙だと思った。ゴツイから
重いと思っていたけど、逆だった。
軽かった。良いです。
ちなみにスティックはヒッコリー材で
長めに持って重心使って手首柔らかめでヒット、
がよい。
メイプルもいいけど、軽くて。
英のブレア首相夫人が、
パレスチナの若者が自爆テロを
するのは、未来に希望がまるでもてないからだ、
と発言、保守党からは批判、
与党労働党からは擁護の声も。
自爆テロに同情の余地はないと立場をとる
米国とイスラエルから一歩引いた欧州の
本音なのではないか、と今朝の新聞に。

それで、アメリカ人のサッカーファンとか
選手たちって難儀な人たちだなって思う。
ことワールドカップにおいて、ほかの国と
比べてみると。

イスラエルのシャロン首相が
チラベルトよりもウザイです。
どうせ誤爆しかできないんだから、
他人に迷惑かけないところで自爆してほしい。

ブッシュもNEWつけりゃWARも許されると
思ってんじゃねーよ、バーカ!アフォかと。
ワールドカップを観ながら、
かわぐちかいじ、の「ジパング」の7巻を読む。

ジパング7巻では、
王道楽土、五族協和、、、
満州国がどういう理念で作られたかに
触れる話があって、
それは、日本人がアメリカ合衆国を
作ったようなもの、と描かれているのだけど、
その、満州国の皇帝、溥儀という人が
えらく滑稽なんです。
ちょっと顔が、あの小林よしのりに似ていて、
土を耕す国民を持たない皇帝、
として描かれています。
だいたいさ、皇帝じゃなくて大統領でしょ、
必要なのは、って思ったんですが。
もともと、民主主義というものを、
血で血を洗うような闘争を繰り返し得た、
欧米諸国のような歴史を経ていない日本ですから、
多民族国家など作れようもないですし。
この漫画は、満州国を国民なき国家と
いうように描いています。
そもそも、日本人は和をもって尊しとなす。
似合わない洋服を着ているようだと皮肉を込めて、
「帝国主義など百年早い」と作中で米内閣下
という海軍の予備役の大将が云います。
しかしこの人物、すごく洋服が似合っている。
これが皇帝溥儀と正反対の人物で、
海軍のリベラル、インテリとして描かれてます。
当時の日本人としては、
すごく英国紳士な感じです。
この人は、作中の既存の21世紀の日本人像を
まるごと良しとしています。
だから、歴史をそのままに手を加えずに
進めさせようとしています。
結果の日本人300万人の犠牲を受け入れています。
「私は永遠に煉獄の中に生きなければならない」
という科白がすごく犠牲的、自虐的すぎる
ように思えます。
そうして、それとは対称的にですが、
草加拓海と角松洋介という二人が、
この漫画の主人公で、
この二人は、若さでもって諦めることなく
活発に行動して歴史を塗り替える役のようです。
草加は、僕の推測では既存の21世紀の
日本人の精神性に満足していない人間に思えます。
すごく澄んでいて、聡明で蒼い志をもった人。
未来を知ることで神の視点をもってしまった
帝国軍人として描かれてます。
そして、角松はまさに既存の21世紀の
日本人の実直な自衛隊員そのものだと思う
のですが、それが草加のような熱い理想を
もった、ある意味、夢追い人に振り回される
様子は泥臭くて格好悪くて、味噌臭くて、
かび臭く、いやーに現実的だったりするのですが、
この二人の関係は、
僕自身の理想と現実へのバランス感覚の
ようなものに、すごく面白い示唆、考えの軸を
与えてくれるように思えました。

これは「ジパング」を読んでないと
伝わらない話だと思います。
だって戦国自衛隊みたいな内容を、
あの、かわぐちかいじ、が書いたら
複雑な内容になるのは自明の理です。
でも、絶対シンプルな理想が隠れてるけど。
それを見つけ出すのが面白くて、
人の心を熱くさせるのです。


あと、名言をみつけました。
「陸の任務は潮気が抜けて一人前だ」
ダンディですなあ。
山男には惚れるなよってとこですかね。

ちなみにこれを読んでいて、
すごく中国に行ってみたくなった。
前から興味はあったけど、さらに。

引用、省略、強調

2002年5月26日
――実は日本のあるお役所が、日米ソフトウェア格差というものについてとても心配しています。なぜLinuxのようなものが日本から出てこないのだ!というわけで。日本のソフトウェア事情についてはたぶんご存知ないでしょうけど、なにかアドバイスはありますか?

ESR: その人たち、Linuxがアメリカのソフトじゃないってのはわかってるのかなぁ。それはさておき、日本のソフト事情について知ってることが一つあるぞ!
 まず、あのドメイン名がらみのバカな規制をさっさとなくすように言ってやってよ。登記ずみだかなんだかの団体か企業じゃないとドメインがもらえないんだって? あきれたね。そんなもんホイホイあげればいいではないの。そんなつまらん規制をするから、jpドメインでソフト開発する気が失せるんじゃない?インターネット上のオープンソースで国を考えて意味あるかは疑問だけれど、jpドメインのホームページを本拠にするソフトが増えたら、その人たちとしても、もっと嬉しいと思うぞ。

http://www.hotwired.co.jp/bitliteracy/interview/990622/textonly.html
↑本文全文はここに公開


反省すると

2002年5月21日
仕事中、郵便物を配っていると、
すごく物思いにふけってしまうというのは、
新聞配達の仕事と同じです。
それで、思ったことは
収入もそこそこ、自活もままならないほど、
生活が路頭に迷っているときに音楽を
やると、ほとんど全部そういうものが
表現に出てしまうと思いました。
なんというか、
約束というか、コードというのか、
そういうものを読み間違えるどころか、
知識としてありもしないような状態で、
練習もそこそこに、
ライブをやったりすることは、
それはそれは、素晴らしくクソ度胸の
いることでした。
もうこれ以上あのヘンテコな日本語の歌詞を覚え、
収穫するのを続けると、
頭がおかしくなってしまいそうなので
やめたほうがいいのかもと思いました。
入口のドアで演奏後、「お疲れ」と
言ってくれたシマムラ君、どうもありがとう。
救われました。

GOLDEN HOUR VOL.1

2002年5月20日
参加してきました。
これからも彼らみたいな素敵な人たちと一緒に
アニマルチンを探したいと思いました。
でもなかなか伝わんないよこの想い。
悔しいけど遠回りでもがんばろうと思った。
見に来てくれた人、ありがとうございました。

下の文章は、
エリックSレイモンド「伽藍とバザール」
からの引用です。
全文は、山形浩生さんのHPで読めます。
http://cruel.org/freeware/cathedral.html


コンピューターに詳しい友人に聞いたところ、
オープンソースの開発のいわゆる「最前線」は
日本にはないそうです。
下の文章のような状況はアメリカに
のみある、ということなのだそうです。
13日からの続き。


 この「多くの重なり合う意志による真剣な努力」
は、まさに Linux のようなプロジェクトには必須
――そして「命令という原理」は、ぼくたちがイン
ターネットと呼ぶアナキスト天国のボランティアた
ちに対しては、実質的に適用不可能だ。効果的に活
動して競争するには、共同プロジェクトを仕切りた
いハッカーは、クロポトキンが「理解の原理」で漠
然と示唆しているモードを使い、有益なコミュニテ
ィをリクルートしてやる気を起こさせる方法を学ば
なくてはならない。つまり、リーヌスの法則を学ば
なくてはならないんだ。[SP]

 まえにリーヌスの法則の説明として「デルファイ
効果」が考えられると述べた。でも、生物学や経済
学に見られる適応型システムも、アナロジーとして
強力だし魅力もある。Linux の世界はいろんな意味
で、自由市場や生態系のような動きを見せる。自己
中心的なエージェントがそれぞれ効用を最大化しよ
うとして、その過程で自己調整的な自律的秩序を生
み出し、それはどんな中央集権計画の何倍も複雑で
効率が高くなる。だからこここそが「理解の原理」
を探すべき場所だ。

 Linux ハッカーたちが最大化している「効用関
数」は、古典経済的なものではなく、自分のエゴの
満足とハッカー社会での評判という無形のものだ
(かれらの動機を「愛他精神」と呼ぶ人もいるけれ
ど、でもそれは、愛他家にとっての愛他活動はそれ
自体が一種のエゴの満足だという事実を見落として
いる)。こういう形で機能するボランタリー文化
は、実はそんなに珍しいものじゃない。ぼくが長い
こと参加してきたもう一つの例は、SF ファンダム
で、ここはハッカー界とちがってボランティア活動
の基本的な動機をはっきり「エゴブー」(他のファ
ンたちの間で自分の評判を高めること)だと認識し
ている。

 リーヌスは、開発そのものはほとんど他人にやら
せつつ、うまいこと自分はプロジェクトの門番にお
さまった。そしてプロジェクトへの関心を育てて、
それが自立するようにしてきた。これはクロポトキ
ンの「共通の理解という原理」の鋭い把握を示して
いる。このように Linux の世界を準経済学的に見
てやると、その理解がどのように適用されているか
見て取れるだろう。

 リーヌスのやり方は、「エゴブー」の効率的な市
場をつくりだす方法として見るといいかもしれな
い。個々のハッカーたちの利己性を、協力体制を維
持しないと実現不可能なむずかしい目標に、できる
だけしっかり結びつける方法だ。Fetchmail プロジ
ェクトで、ぼくは(もっと小規模にではあるけれ
ど)かれの手法が再現できるものだということを示
した。ぼくのほうが、リーヌスよりもそれをちょっ
と意識的かつ体系的に行ったとはいえるかもしれな
い。

 多くの人(特に政治的な理由で自由市場を信用し
ない人たち)は、自己中心的なエゴイストの文化な
んか断片的で、領土争いばかりで、無駄が多く、秘
密主義的で、攻撃的にちがいないと考える。でもこ
の予想ははっきりと反証できる。数多い例の一つを
あげると、Linux 関連文書の驚くべき多様性と品質
と詳細さがある。プログラマたちはドキュメント作
成が大嫌いというのは、ほとんど神聖化された周知
の事実とされている。だったら、なぜ Linux ハッ
カーたちはこんなにもたくさんの文書を生み出すん
だろう。明らかに Linux のエゴブー自由市場は、
商業ソフト屋さんのものすごい予算をもらった文書
作成業者たちよりも、気高さに満ちた他者をいたわ
る行動を生み出すうえでうまく機能するわけだ。

 Fetchmail と Linux カーネルプロジェクトがど
ちらも示しているのは、ほかの多くのハッカーたち
のエゴにきちんとごほうびをあげれば、強力な開発
者/コーディネータはインターネットを使って、共同
開発者がたくさんいるメリットを享受しつつ、プロ
ジェクトが混乱しきった修羅場に陥って崩壊するの
は避けられる、ということだ。というわけで、以下
はブルックスの法則に対するぼくの反対提案:
19. 開発コーディネーターが、最低でもインターネ
ットくらい使えるメディアを持っていて、圧力なし
に先導するやりかたを知っている場合には、頭数は
一つよりは多いほうが絶対にいい。

 フリーソフト(オープンソース・ソフト)の未来
は、ますますリーヌスのやりかたを身につけた人た
ちのものになっていくと思う。つまり、伽藍を後に
してバザール方式を受け入れる人たちのものだ。こ
れは別に、個人のビジョンと才能がもはやどうでも
いいということではない。むしろ、フリーソフト/オ
ープンソースの最先端は、個人のビジョンと才能を
出発点としつつも、それをボランタリーな利害/興味
コミュニティの構築によって増幅する人々のものだ
と思う。

 そしてこれは、単に「フリー」ソフト(オープン
ソース・ソフト)だけの未来像ではないのかも知れ
ない。問題解決にあたって、Linux コミュニティが
動員できるほどの才能プールに太刀打ちできる商業
デベロッパは存在しない。Fetchmail に貢献してく
れた 200 人以上を雇える財力を持つようなデベロッ
パですら、ごくわずかしかいない!

 もしかすると、最終的にフリーソフト/オープンソ
ース文化が勝利するのは、協力が道徳的に正しいと
かソフト「隠匿」が道徳的にまちがってるとかいう
理由のためではなく(ちなみに後者については、リ
ーヌスもぼくもそうは思わない)、単に商業ソフト
の世界が、ある問題に有能な人々の時間を幾桁も多
くそそぎ込めるフリーソフト/オープンソース界と、
進化上の軍事競争で張り合えなくなるからかもしれ
ない。



12日からの続き。

10 フリーソフトの社会的な意義

 これはもう不動の真実だ。最高のハックは、作者
の日常的な問題に対する個人的な解決策として始ま
る。そしてその問題が、実は多数のユーザにも典型
的なものであるために広まる。これでルールその 1
の話に戻ってきた。ただしもう少し便利な形で言い
直してみよう。

18. おもしろい問題を解決するには、まず自分にと
っておもしろい問題を見つけることから始めよう。

  Carl Harris とかれのかつての popclient も
そうだったし、ぼくの fetchmail もそうだ。でも
これは長いこと理解されてきた。おもしろい点、つ
まり Linux と fetchmail の歴史がぼくたちの目を
いやでも向ける点は、次の段階だ――ユーザと共同
開発者たちの巨大で活発なコミュニティがある中
で、ソフトがどう発展するかという話。

 『人月の神話』でフレッド・ブルックスはプログ
ラマの時間が代替不能だと看破している。遅れてい
るソフト開発に開発者を加えても、開発はかえって
遅れる。プロジェクトの複雑さとコミュニケーショ
ンコストは、開発者数の 2 乗で増大するのに対し、
終わる作業は直線的にしか増加しないというのがか
れの議論だった。この論はそれ以来「ブルックスの
法則」と呼ばれるに至り、真実をついているものと
だれもが考えている。でもブルックスの法則が唯一
無二の真理なら、Linux はあり得なかっただろう。

 数年後、ジェラルド・ワインバーグの古典『プロ
グラミングの心理学』が、いまにして思えばブルッ
クスに対する重要な訂正だったものを提供してくれ
た。「エゴのないプログラミング」を論じるなかで
ワインバーグが述べたのは、開発者たちが自分のコ
ードを私物化せず、ほかのみんなにバグを探したり
改良点を見つけたりするよう奨励するようなところ
では、ソフトの改善がほかよりも劇的にはやく生じ
る、ということだった。

 ワインバーグの分析がしかるべき評価を得なかっ
たのは、用語のせいかもしれない――インターネッ
トのハッカーたちを「エゴがない」と呼ぶなんて、
つい笑ってしまうではないの。でも、かれの議論は
今やかつてない説得力を持っている。

 Unix の歴史を見れば、Linux から学びつつある
もの(そしてぼくが意図的にリーヌスの手法を真似
ることで、実験的に小規模に確認したもの
[EGCS])は見えていたはずなんだ。コーディングは
基本的に孤独な活動だけれど、真に偉大なハックは
コミュニティ全体の関心と能力を動員することで実
現されるってこと。閉ざされたプロジェクトの中
で、自分の脳味噌だけを使う開発者は、オープンで
発展的な文脈をつくりだして、デザイン空間の探索
やコードの貢献、バグつぶしなどの改善をもたらす
フィードバックが何百人も(あるいは何千人も)か
ら戻ってくるようにできる開発者に負けてしまうん
だ。

 でも従来の Unix の世界は、このアプローチをと
ことんまでつきつめることができなかった。要因は
いくつかある。一つはいろいろなライセンスや商売
上の秘密、商業的な利害からくる法律上の制約。そ
してもう一つは(いまにして思えば)インターネッ
トがまだ発達しきってなかったことだ。

 安いインターネット以前には、いくつかの地理的
に集中したコミュニティではワインバーグの「エゴ
のない」プログラミングが奨励されていた。そこで
は開発者は、有能なチェック屋や共同開発者を楽に
たくさん集めることができた。ベル研、MIT AI
研、UC バークレー――こういうところは伝説的な技
術革新を生み出したし、いまでも強力だ。


 Linux は、意識的かつ成功裏に全世界を才能プー
ルとして使おうとした最初のプロジェクトだった。
Linux 形成期が、World Wide Web の誕生と同時期
なのは偶然ではないと思うし、Linux が幼年期を脱
したのが 1993-1994 年という、ISP 産業がテイク
オフしてインターネットへの一般の関心が爆発的に

高まった時期と同じなのも偶然ではないだろう。リ
ーヌスは、拡大するインターネットが可能にした新
しいルールにしたがって活動する方法を見いだし
た、最初の人間だったわけだ。

 安いインターネットは、Linux モデルの発展にと
っての必要条件ではあったけれど、でもそれだけで
は十分条件ではなかったと思う。もう一つの重要な
要素は、開発者が共同開発者を集めて、インターネ
ットというメディアを最大限に活かすためのリーダ
ーシップのスタイルと、協力のための慣行が開発さ
れたことだろう。

 でもこのリーダーシップのスタイルとはなんで、
その慣行ってのはどういうものだったんだろう。こ
れは権力関係に基づくものではあり得ない――あり
得たとしても、脅しによるリーダーシップは、いま
ぼくたちが目にするような結果を生み出しはしな
い。ワインバーグは、19世紀ロシアのアナキストで
あるクロポトキンの『ある革命家の回想』を引用し
て、この点についていい議論を展開している。

「農奴を所有する一家に育ったわたしは、当時の若
者たちみんなと同じように、命令したり指令した
り、叱りつけたり罰したりといった行動の必要性に
ついて、まったく疑うことを知らぬままに成年に達
した。しかしかなりはやい時期に、わたしは大がか
りな企業を経営することになり、自由な人々と交渉
することになった。そしてまちがい一つが重大な結
果を招くような状況で、わたしは命令と規律という
原理にしたがって活動するのと、共通の理解という
原理に基づいて行動するのとの差をだんだん理解す
るに至った。前者は軍隊のパレードでは見事に機能
するが、実生活において、目標が多くの重なり合う
意志の真剣な努力によってしか達成できないような
状況では何の価値もない」

9 バザール方式の前提条件とは

 この論文の初期レビューアーや、試験読者たちが
たえず返してきた質問というのは、上手なバザール
形式の開発に必要な条件は何か、というものだっ
た。これはプロジェクトリーダーの資質と、共同開
発者コミュニティをつくろうとしてコードを公開す
る時点での、コードの状態についての条件の両方に
ついてのものだった。

 バザール形式で最初からコードを書くのが無理だ
というのは、まあはっきりしているだろう。[IN] バ
ザール形式でテストしたりデバッグしたり改善した
りはできるけれど、プロジェクトを最初からバザー
ル式で始めるのはすごくむずかしいだろう。リーヌ
スはそんなことはしなかったし、ぼくもしなかっ
た。あなたが生み出そうとしてる開発者コミュニテ
ィは、いじるために何か動いてテストできるものを
必要としているんだ。

 コミュニティ形成を始めるときには、まずなによ
りも実現できそうな見込みを示せなきゃならない。
別にそのソフトは特によく書けてなくてもいい。雑
で、バグだらけで、不完全で、ドキュメント皆無で
もいい。でも絶対不可欠なのが、開発者候補たち
に、それが目に見える将来にはなにか本当に使える
代物に発展させられると説得できることだ。

 Linux と fetchmail は、どちらも強力で魅力的
な基本デザインをもって公開された。ぼくが提出し
たバザールモデルについて考えてきた人の多くは、
これがきわめて重要だということを正しく認識し、
そこからいきなり、だったらプロジェクトリーダー
には高度なデザイン上の直感と才能が必要にちがい
ないという結論に一足飛びにとびついてしまった。

 でもリーヌスはデザインを Unix からもらって
る。ぼくはもともと先祖の popmail からアイデア
を得てる(もっともそれは後に大きく変わった。割
合から言えば Linux よりはずっと大きな変化
だ)。ということは、バザール形式のリーダー/コー
ディネーターはずばぬけたデザインの才能が本当に
いるんだろうか、それとも他人のデザインの才能を
うまく生かすだけでやっていけるんだろうか。

 コーディネーターが、とてつもないデザイン上の
ひらめきを自分で得る必要性は必ずしもないと思
う。でも、絶対に必要なのは、その人物がほかの人
たちのよいデザイン上のアイデアを認識できるとい
うことだ。

 Linux も fetchmail も、この証拠を示してい
る。リーヌスは(すでに述べた通り)、驚異的に独
創的な設計者ではないけれど、よいデザインを認識
してそれを Linux カーネルに組み込む強力な第六
感を示した。そしてすでに述べたように、
fetchmail 最大の強力なデザインアイデア(SMTP
転送)は他人にもらったものだった。

 この論文を早い時期に読んだ人たちは、おまえは
バザールプロジェクトでのデザイン上の独創性を過
小評価している、自分にはいろいろアイデアがある
もんだから、それが当然のことだと思ってるんだろ
う、と誉めてくれた。確かにこれは一理ある。ぼく
の最大の強みは確かに、コーディングやデバッグで
はなく、デザイン能力にある。

 でもソフトの設計で、小利口で独創的になること
の問題点は、それが習慣になってしまうことだ。ソ
フトは堅牢でシンプルにしておかなきゃダメなの
に、反射的にそれを媚びた複雑なものにしてしまい
がちになる。このまちがいのおかげでつぶれたプロ
ジェクトもいくつかある。でも、fetchmail ではそ
ういうことにならずにすんだ。

 だから fetchmail プロジェクトが成功したの
は、一部はぼくが小利口になりがちな自分の性格を
抑えたからだと思う。これは(少なくとも)バザー
ルプロジェクトの成功にデザイン上の独創性が不可
欠という議論の反証になっている。そして Linux
もそうだ。もしリーヌス・トーヴァルズが開発途上
で根本的な OS デザインの革新をやってのけようと
していたら、その結果のカーネルがいまのものほど
安定してうまくいっていたかどうか?

 一定レベルのデザインとコード書き能力は必要だ
けれど、でもバザール式のプロジェクトを始めよう
かと真剣に考えている人なら、ほとんどだれでもそ
んな最低限以上の能力はあるだろう。フリーソフト/
オープンソースコミュニティ内における評判の市場
は、最後まで面倒を見られないような開発プロジェ
クトを始めないように、みんなに微妙な圧力をかけ
る。いまのところ、これはなかなかうまく機能して
きたようだ。

 別の才能で、ソフト開発とはふつうは関連づけら
れないけれど、でもバザールプロジェクトではデザ
イン上の才覚に匹敵するほど――あるいはそれ以上
――重要なものがあると思う。バザールプロジェク
トは、コーディネータやリーダの対人能力やコミュ
ニケーション能力が優れていないとダメだ。

 これは説明するまでもないだろう。開発コミュニ
ティをつくるには、人を引きつける必要がある。自
分のやっていることに興味を持たせて、各人のやっ
ている仕事量についてみんなが満足しているように
気を配る必要がある。技術的な先進性は、これを実
現する役にはおおいに立つけれど、でもそれだけで
はぜんぜん足りない。その人が発する個性も大事
だ。

 リーヌスがナイスガイで、みんなかれを気に入っ
て手伝いたくなってしまうのは、偶然ではない。ぼ
くがエネルギッシュで外向的で、大人数を動かすの
が好きで、コメディアンの話術や本能をちょっと備
えているのも偶然じゃない。バザールモデルが機能
するためには、人を魅了する能力が少しくらいでも
あると、きわめて役に立つのだ。

今日は立川で短期のバイト。
僕は立川まで行くのに、
主に二つの行き方があります。
まずは、埼京線で新宿まで行ってから、
中央線に乗り換え、立川に行く行き方。
次に、埼京線から武蔵野線に乗り換えて、
西国分寺で中央線に連絡する行き方。

新宿まで乗っていくと、あぁ新宿に行くのだね、
そろそろ新宿に着くんだね、ってとうとう
到着って感じがあるのです。それは、上京してきた
よって感覚です。だってイナカモノだもの。
おっきくみれば大宮なんて無茶苦茶
都会なんだろうけど。

でも、武蔵野線だとそうはいかないのです。
たいがい武蔵野線に乗るときは決まって
西国分寺で降りることになるのが多いのですが、
なぜならそれは、西国分寺が中央線と
連絡しているからです。
そして武蔵野線というのは新秋津、東所沢
などという、素敵な田舎を巡る武蔵野環状線
なのです。環状線っていうものは、
どこかに到着するなあという感じがない。
終着駅に向かっているのだ、という感じが
ないのです。
気付くと俺は西国分寺、もう電車を降りるのか。
なぜだか、なんて寂しいのだろうという気持ちに
なってしまう。雨の日なんかは特に。
しかも、乗ったことある方はご存知でしょうが、
あの不気味に長い古いトンネル。
あれが、自分の現在位置を判らなくさせ、
不安を煽ります。

これらの話は船橋方面にもある程度当てはまる
と思います。武蔵野線沿線住民の方には、
申し訳ない話ですが。

晴れてる日の景色なんかはけっこう好きです。

今日は、ミスチルの
イッツアワンダフルワールド??
の広告が新宿行きの埼京線車内に
ありました。こんな時代に行き先があるのは、
この電車だけかも、なんていうコピー
が書いてありました。
チクショウ、忌忌しいぜって思いました。

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